地域おこし協力隊として12月から赴任し、ご挨拶をさせて頂き、いろーんな話しをしている中で、 結構な確率で聞かれることがあります。 

それは
「何で川棚町の地域おこし協力隊になったと?」
という質問!

地域おこし協力隊は近年どんどん数も増えており、メジャーな仕事になりつつあるのかなぁ?と思います。
ですが、要は契約社員のようなものなのでリスクはあります。
下手したら任期満了後の3年後には
無職になるかも・・・ 
そして私は川棚町に親戚がいるわけでもなく、縁もゆかりもありません。

確かに「何で?」と疑問に思いますよね!!
理由はもちろんあります。
ただ、話し始めると長くなるのでちゃんと話したことはありません・・・。

何で私が「長崎県・川棚町」で「地域おこし協力隊」になろうと思ったのかをこの場を借りて書いてみようと思います!!

時代をさかのぼって書かせて頂きます。

【田舎な地元】
私は佐賀県唐津市の出身です。
そしてその唐津市の中でも海がない盆地で・・・スクスクと育っていました。
小学校の頃は片道1時間をかけて山の上にある小学校まで通っていました。
2013-11-24-12-51-38

花の蜜を吸ったり、石ころや木の枝で遊びながら登下校していました。
有名なモノは特になく、滝・棚田・野菜がよく採れる。
何が言いたいかというと、
とにかく「田舎」で生まれ育ちました

【都会に憧れた高校生活】
高校の通学は電車。
下手すると1時間半に1本しか電車はなく
バスは2時間に1本レベル。
終電は21:30。
今でもsuicaは使えません。
2013-06-23-12-28-59

当時はそこそこの進学校で、部活もそこそこ強かったので 土日は模試か部活。
本当に休みがあるのが奇跡でした。

こんな「田舎」×「忙しい生活」
つまらなくて、
「都会に行きたい!!!
とモヤモヤと思っていたときに
高校で「交換海外留学」のチラシをたまたま見つけました。

「海外に行ったら都会やろうな!今より楽しいやろうな!」
とバカな私は思いつき・・・
某団体の、青少年育成プログラムの
「飛行機代と保険料金だけで1年間の海外生活ができる事業」に応募
親を説き伏せて応募したら見事合格!
ということでオーストラリアに1年間行くことができることになりました  

この経験が主な理由につながります。

【憧れの海外生活】
決定した留学先は有名なシドニーでもメルボルンでもなく、西オーストラリアのパースから南に4時間ほど下った
「マウントバーカー」という町。

人口よりも明らかにカンガルーと羊が多い場所でした。
そして日本人は私だけ。笑
ホームステイ先で飼っている牛や豚、羊のお世話を高校が終わると行っていました。

海外での優雅な都会生活を夢見ていた私は地元よりも遙かに田舎な町に愕然とし。。。
「まじか・・・
と最初は思っていました
ただ、次第に住民のみなさんの温かさや、知らない人でも車同士ですれ違う時に手を上げて挨拶する仕草。
何よりも
住んでいる町のことが大好きな姿』
を見て考え方が変わっていきました。

大きなショッピングセンターや、観光地、特産品などがなくてもいい。
「何もなくても幸せに生きていけるんだな

「住んでいる人達が、ここで生きていてよかったと心から思えていればそれで良いし、町は消滅せずに生き残るんだろうな
と感じました。

【進路の選択】
留学から日本に帰ってきたのが高校3年の春。
(マウントバーカーの高校にちゃんと通っていたので単位変換が出来、留年せずに済みました)

帰ってきたらすぐ「進路希望の紙」を提出しなければなりませんでした。
留学で学んだこともあり、「まちづくり」について勉強したいなぁ!と思い
最初は地元である九州内での進学を考えていました。
しかし、ピンとくる場所はなく、適当に進路希望を書いていたら  笑
「九州にこだわらんで、もっとやりたいことに特化できる大学を目指せ!」
と高校の先生から言われ、納得
【地域政策学部】が一番古くから存在する(北)関東の群馬県にある高崎経済大学を選択し、合格!

【大学進学後の就職活動】
入学後、まちづくりや観光振興について学びました。
具体的な観光振興策として高崎市にある榛名神社でイベントの主催や住民のみなさんとのワークショップ、観光ガイドをゼミで行っていました。

あっという間に 就職活動の時期も迫り、
「就職どうしよう
と思うようになりました。
先輩や、友人たちからは私の自由で能天気な性格を知っているので
「明らかに性格が公務員っぽくはない!!」と断言され 「ざっくりしてるし、銀行員でもないよね!」といわれ・・・
自分自身でも公務員や細かな仕事には遠い性格だとは分かっていたので
地元での就職は厳しくなりました。
公務員と地方銀行を選択肢から外すと
就職先がとにかく少ないんですよね。

地元の地域づくり団体に
「雇ってください!」と話しましたが
「まだ若いし経験もないけんダメ」との厳しいお返事。 今考えると当たり前。
地方になればなるほど、新卒よりも既卒の技術職の方が有利だと思います。
私が経営者でも雇えないです。
地元に帰る選択肢はないのかなぁ と思っていました。

そこで見つけたのが
「地域おこし協力隊」でした。

【地域おこし協力隊を発見】
ただ、当時まだ21歳。
MAX3年間の任期で、地域おこし協力隊はいわゆる契約社員と同じです。
親とも話し
「まずは正社員として働きなさい。そしてもしも本当にやりたかったらやればいい」
と言われました。
「確かにな。 」と納得。
地元ではなく東京で 。
切磋琢磨して、いずれ地域おこし協力隊になりたかったら考えよう‼︎と思い、まだ若いベンチャー会社で商業用不動産(店舗や事務所)に特化した営業会社に入社しました。

【激務だった東京での社会人生活】
「ベンチャー」×「不動産」×「営業」なのでまぁまぁ大変な思いをし、、
荒波に揉まれながらも、実力主義な会社で仕事に対して向き合うことが出来ました!
運は良いので、結果が出せていた方だったので、やりがいも大きかったです
同時に実績がない人の話は通らないんですよね。「結果が全て」だということを体感しました。
この社会人生活がなければ今の自分はないだろうなと思います。
2013-12-12-22-08-55

ただ、実家の都合で実家(佐賀)に戻ることになり 3年目になる直前でいったん退社。 3ヶ月ほど佐賀に帰っていました。
そしてまた同じ会社の「飲食事業部」を立ち上げることになり 、
新規事業に興味があったので復職。
同じ会社で5店舗を管理するマネージャーになりました。

この時が今までで一番働いていました。
基本15時間労働で休みはほぼなし。(笑)
夜中にスタッフからの電話とLINEで、寝れず。
約1年ちょっと働き、5店舗飲食店をオープンさせ、ヘロヘロに。 (笑)
関わる人数が多すぎて、ゴタゴタでいろいろあり退職。

そのままツテでIT広告の会社に入社したのですがまさかの入社直後に社長が病気になり、給与も…。
2ヶ月で辞めることに。
次々に起こるまさかの展開に
『本当どうしようかなぁぁぁぁ
とへこんでいました。
忙しさとショックといろいろで
何がやりたいのか、誰を信用していいのか分からなくなってたんだろうなと思います。
よく言う「東京に疲れていた」感じだったのかも知れません。


【地域おこし協力隊を再考】
「元々何がやりたかったんだっけ?」
と考えるようになり
『原点に戻ってみよう』と思い始めました。
そしてそもそも群馬の大学に行ったのは「まちづくり」を勉強してみたかったから。 東京で就職したのは「修業」。
であれば東京で再就職をしなくてもいいのかなと思いました。
そしてかねてから興味があった
「地域おこし協力隊」
を探すようになりました。
地元の唐津市では募集はありませんでした。他の都道府県ではたくさん募集が出ていました。

ですが・・・
明らかに年収も減るし、
正社員じゃない
そもそも公務員には向いてないし。
結構悩みました。
自分が地域おこし協力隊になるのって
何か場違いじゃない?と思いました。
離婚原因でもあるような
「性格の不一致」になったらどうしよう・・・とかも悩みました。

【川棚町を発見】
一応インターネットで探している中で
「ここで頑張ってみたい!!
と素直に思えたのが長崎県東彼杵郡川棚町でした。

なぜかというと募集要項やHPを見ていて
失礼な話だとは思いますが
『川棚が「●●が有名」という雰囲気がなかったから』です。
もちろんトマトやアスパラ、長崎和牛など、有名なものはたくさんありますよ!
ただ、全国的に川棚に知名度が高いかというと、「低い」と思います。
棚田や野菜、みかんなど観光資源が地元に純粋に似ているなと思いました。 親近感が湧きました!
募集概要も「観光振興」だったので、大学でやってきたことも活かせるかも知れない。これも大きな理由です。

「川棚で頑張ってみたいな!どんどん新しいことを仕掛けていったら面白いだろうな!」
と思い、むしろ
「川棚に落ちたら縁がなかったということで民間企業で転職活動しよう。」
と思い、応募。

こんな流れで
川棚町で地域おこし協力隊として
日々活動をさせて頂いています。

そしてまさかの配属が大学の頃の学部・学科名と同じ「地域政策」課
不思議な縁だなと思います。

悩んでいた
「給与面」
確かに落ちました。
その反面、お金を使わない生活になりました。
東京にいたころのようにコンビニまで10秒の場所に住んでいないので、コンビニ生活から脱却
自炊をするようになって、お昼もお弁当を作るようになりました。
夜も飲みに行くと後輩の分を全額奢るのが会社のルールだったので下手したら5万とか一気に消えていました。
今では前職の生活は考えられませんね。
あんなに高かったエンゲル係数が・・・(笑)
しかも野菜やお米を頂くことも多く、本当に助かっています。

「任期後のリスク」
正直な話、まだ全然見えません。
3年前は、自分が3年後長崎県で川棚町で
地域おこし協力隊になってるなんて思ってもいませんでした。
「今3年後が分かったら人生面白くないっしょ」と思っています。
もし無職になっても任期後はまだ28歳。なんとでもなると思っています。
そして全力で結果を出して、川棚町でやってみたら結果としてきっと納得できる次の仕事は自然と決まると思っています。
と、同時に年齢は、最近関係ない気もしています。
同じく川棚町で活動している地域おこし協力隊の方は57歳。
めっちゃ元気な面白い関西のおじちゃんです
これくらいの年齢の方が、経験値もあるし
むしろ3年後に目指すべきものが見つかりやすいんだろうなぁと
話をしていて思います。


「性格の不一致」
私は公務員に不向きなことは証明されたかも知れません。^_^;
役場の方々を尊敬しています。
朝や昼休み、役場の電気って付いてないんですよ。
節電対策です。
税金を頂いている重みを感じます。
やっぱり利益ではなく、公益を追及しているので仕事の仕方は違います。
すごいな!!
私には出来ないな!!
って心の底から思います。
そして妬みとかがないから皆さんものすごく親切!!


まだ着任して一か月ちょっとですが、
地域おこし協力隊という選択をして
「良かった」「正解だった」と思っています。
そして川棚町のようなあたたかい風土がある町に着任でき、ありがたいです。 留学先にすごく似てる風土があるなと思うので、何だか懐かしい気もしています。これからの活動が自分自身、楽しみでもあります!

ただ、もしも 大学卒業後すぐに地域おこし協力隊になっていたら 同じように思っていたかは分かりません。

多分、「何をしたらいいか分からない」という プチパニック状態になっていた気がします。 
仕事を自分で創っていかないと何も始まらないので。
まだ創っている最中なので特にそう思うのかも知れません。

そして一回九州を出ていたからこそ、良さが分かるのかなとも感じています。
まちづくりに興味が湧いた高校の頃から、遠回りをしたのかも知れませんが、
遠回りをさせてもらえた状況に感謝しています。「今」があるのは「今まで」があるからだと思っています。

こんな理由で私は川棚町の地域おこし協力隊になりました。 
一人一人地域おこし協力隊になった理由は異なるはずです。
地域おこし協力隊に興味がある方はいろんな方々の話を聞いてみると
いいのかなぁ。と思います。 
書ききったーーー!!
長文を最後まで読んで頂きありがとうございましたーーー!!